病院で辛い思い、したことありませんか?
介護度5の母、介護度3の父。晩年、障害者となった母とアルツハイマーになって荒れまくった父に向かい合って・・・いや、向かい合いたくても向かいきれないことも多かった。いくつもの病院へ行き、障害者認定をして貰えてない頃は、車椅子でありながらその指定の場所に車を置けず、車椅子を出すのも押すのも車を狭くて遠い場所に戻すのも一人で、自分で自分を叱咤激励しながら走り回っていました。
病院で思うことは、沢山あります。言いたいこと、改善して欲しいこと。それは、組織としての問題ばかりではなく、個々の問題であることの方が多いかもしれません。
だから、悲しいのです。
「なぜ、貴方はこの仕事をしているの?」と聞きたい。
そんなことを思いながらも 疲れ切って、「はいはいはいのはい」で、こちらも麻痺してしまっていました。どうせ、医者ってこんなことしか言えないのね、とか、看護師さん、あなた何様?とか。無言でいることは、それ以上の傷口を広げたくないということでもありました。
そして、どんなおかしなことを言われても「命を助けて貰ったから」と差し引きで我慢していたと思います。
そんな病院とはおさらばすればいいのよ、という人もいますが、縁を切れないこともあると思います。
今回、母の命に関わることではない状態で起きた、「差し歯紛失、呑み込まされ事件」が、今までの「諦め、我慢、控えめ、言ってもしようがない」という気持ちを越えてしまったのは、「医療」とは関係のないところで、道徳がなってない人達があまりにも多かった病院に対してなのかもしれません。
85歳の神戸ではない、よそのおばあちゃまに、母の話をしたとき、言われたのです。
「いつか、誰かのためになるだろうから、頑張って下さい」って。
きっと、その方も病院通いをするなかで、沢山の思いがあるのかもしれません。
本人は勿論、家族だって、好きで行っている病院ではありません。疲れて、痛くて、辛くて、悲しい思いで行って、更に追い打ちをかけられるような病院に、どこまで私達は我慢すればいいのでしょう。
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