在宅介護に必要なこと

 「待機者数が多いから、施設を早急に増やしましょう!」って、高齢者介護ってそんな単純なことでしょうか?箱モノばかり増えたところで、そこで働く介護者のスキルや適性、人数は決して満足いくものではないはずです。

 せっかく、その特養に入れていた母を2年半で引き取ることになったのは、そんな酷い施設に入所してしまい、命の危機を覚えたからです。

 その話はまたいつか・・・

 在宅介護を始めた頃、新聞で一冊の本の紹介が目につきました。新刊ではなかったので、図書館に予約をするとすぐに連絡がきました。

 「逝かない身体」どういう意味だろうと思いました。逝きたいのに逝かないのか、逝かせたいのに逝けないのか。

 作家の方の本ではなく、ALS(筋委縮性硬化症)の母親をまだ介護制度が出来ていない時代から自宅介護をしたと実話でした。人工呼吸器の有無は本人がまだ意思表示できるときに決めることですが、それを拒否すれば逝くのは確実な病です。ALSの中でも特に酷い、全てがオートロックされてしまい、瞼は閉じたら閉じたまま、開いてたら開いたまま。瞳を動かす意思表示は不可能です。毎朝、瞼を開いてやって朝の光を入れるところから始まる一日。

 そんな状態の介護は、介護者がしっかりと観察することでしか異常を見つけることはできません。皮膚や汗の状態。それが、心理的な事なのか、ストレスがあるのか、くまなく全身を捜し痛みの箇所を見つける。そんな状態でも24時間介護が出来れば自宅で過ごせるのです。でも、入院することもあるわけですが、「これで何かあったらただではおかない」などと物騒な話も出てきます。家で大切に介護をしていれば、そういう思いは当然なのです。

 妹さんとお父様と家族三人で介護にあたるのですが、娘とはいえ、自分は海外赴任中の夫を残し、介護のために子供二人を連れ帰り、自分の思い描いた人生が変わってしまうわけです。様々な葛藤が正直に書かれています。母親は、姑の介護を拒んだのに、娘にはさせるのか、呼吸器をつければこうなることはわかっていただろうに、というようなことです。

 本当に大変な思いしながら、出来ること全てにチャレンジされていることがわかります。

それでも母親は生きていることに満足してくれているのだろうかという疑問は絶えずあるのです。私も同じです。好きなものを食べられない、話せない、外に出られない、全ての自由がありません。

 病院でさえも安心できる場所ではなく、歯を4本も呑まされて、殺されるところでした。胃ろうにして、私が生かせてしまったのは母にとってどうなんだろうか。

 その本は、お母様が亡くなられ、その後のことまで書かれてあり完結しています。

 母親が何年も寝ていたベッドに自分も寝てみるのですが、そこで様々な音や声が聞こえます。決まった時間に決まった介護者が声を掛けて入ってくる。そして、決まったケアを安心して受けられる。きっと母は、そのことで安心していたに違いないと思うのです。

 それを読んで、私も少しほっとしました。母を安心させてあげられること、それしかできないけれど、それすらなかなか難しいことだけれど、それが出来れば大丈夫なんだと思えたからです。

 ALS患者の介護は特殊で、それなりのスキルを積んだヘルパーさんが必要です。私なんかはまだまだ楽をさせていただいているのかもしれません。それでもヘルパーさんには様々な要望をだし、知恵を借り、厳しい家族なのかもしれませんが、きっとより高い介護に繋がるようにという気持ちを理解してくれていると信じています。

誰かのために出来ることを出来るだけ

「虐待ではないのか!」と病院で起きたことに対し、医事課や医療者の誠意のない態度に接し、一人でも多くの方に伝えようと思ったのがきっかけのブログです。医療のみ進歩していく病院に、患者はどれだけ我慢しないといけないのか。一人の人間として人を救えない医療に立ち遅れているのは、日本だけなのでしょうか?2005年から両親の介護に関わって見てきた施設、病院、ドクターのこと、少しずつ記録として書いていきます。

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